「会わせること」を成果にすると、営業は壊れる
この記事の結論
- 「会わせること」を成果にすると、繋ぐ側の目的が「質」から「数」に移る
- 合わない相手でも会わせたほうが得になる圧力が、構造的に働く
- 受け取る側は合わない商談に時間を奪われ、信頼が削れる
- これは担当者の怠慢ではなく、成果の定義が生む必然
- 会った数ではなく「会った後に商談が前へ進んだか」を成果にすべき
- 測るのが難しいから数に逃げる。だが難しいものから逃げた瞬間に質は下がる
「会わせること」を成果にすると、営業は壊れる
営業を外部に頼むとき、多くの仕組みが「会わせること」を成果として設計しています。商談の場が実現したら、その時点で報酬が発生する。一見、分かりやすくて公平な設計に見えます。ですが、この設計には、見過ごされがちな落とし穴があります。
成果を「会わせた数」で定義した瞬間、繋ぐ側のインセンティブが静かに移動するのです。
本来、繋ぐ側の仕事は「合う相手同士を見つけて引き合わせる」ことのはずです。ところが、報酬が「会わせた数」で決まるなら、目的は「合う相手を選ぶこと」から「会わせる数を増やすこと」へと変わります。極端に言えば、合っていない相手でも、会わせてしまえば報酬になる。この圧力は、担当者の善意とは関係なく、構造として必ず働きます。
その結果、何が起きるか。
受け取る側、つまり紹介を受ける企業は、合わない相手との商談に時間を奪われます。話し始めてすぐ「これは噛み合わないな」と分かる商談が増える。一回一回は小さな損失でも、積み重なれば、繋ぐ側への信頼は確実に削れていきます。「この会社が持ってくる話は、当たりが少ない」という印象は、一度つくと簡単には消えません。
ここで大事なのは、これを「担当者が手を抜いているから」で片付けないことです。問題は、もっと手前にあります。成果の定義そのものです。
人は、成果として測られるものに最適化します。これはサボりでも悪意でもなく、ただの反応です。会った数を成果にすれば、会った数が最大化される。質は、測られていない以上、後回しにされる。何を成果と呼ぶかが、そこで働く人の行動を、そして営業の中身そのものを決めてしまうのです。
では、何を成果にすべきか
こう書くと、当然の問いが返ってきます。「会った数を成果にしないなら、何を成果にすればいいのか」と。
答えははっきりしています。会った後に、商談が前へ進んだかどうかです。次の打ち合わせが設定されたか。検討のテーブルに乗ったか。相手が具体的に動き出したか。会うことはゴールではなく、スタートラインにすぎません。スタートラインに立った数を数えても、レースが進んだことにはならないのです。
ではなぜ、多くの仕組みが「会った数」を成果にするのか。理由は単純で、そのほうが測りやすいからです。会ったかどうかは白黒がつく。一方、「商談が前に進んだか」は曖昧で、追いかけるのに手間がかかる。だから、測りやすい「会った数」に逃げてしまう。
ですが、ここに落とし穴があります。難しいものから逃げて、測りやすいものだけを成果にした瞬間、質は死ぬのです。本当に大事なもの——相手同士が本当に合っていたか、商談が実を結んだか——は、たいてい測りにくいところにあります。測りにくいからと切り捨てれば、残るのは数字だけの、中身のない成果です。
成果の定義は、思想の表明である
何を成果と呼ぶかは、単なる指標選びの話ではありません。それは「自分たちは何を大事にするのか」という、思想の表明です。
会った数を成果にする組織は、「とにかく会わせる」ことを是とします。商談が前に進んだかを成果にする組織は、「合う相手を、ちゃんと選ぶ」ことを是とします。同じ「営業を支援する」という看板でも、成果の定義が違えば、まったく別のものが育ちます。
そして、受け取る側は、それを敏感に感じ取ります。合わない商談を持ってこられ続ければ、「この会社は数しか見ていない」と気づく。逆に、少なくても質の高い引き合わせをしてくれる相手には、信頼が積み上がる。成果の定義は、めぐりめぐって、繋ぐ側自身の評判を形づくっているのです。
だからこそ、営業を仕組みで動かすなら、最初に問うべきはこれです。「自分たちは、何を成果と呼ぶのか」。その一つの選択が、そこから先のすべてを決めてしまうのですから。